（五分前行動が基本の男は常のように少し早めにロビーへと姿を表した。オリーブ色のシャツにネイビーのデニム。相も変わらずシンプルな装いで、スマホやら財布やら、本当に最低限の物だけ入れたサコッシュがやや頼りなさげに揺れる。）よっ。（待ち合わせ相手を映した瞳がレンズ越しに瞬き、かろい言葉と共に片手を上げた。この約束を取り付ける際のやり取りにあった冒頭の文字たちを引き出したみたいな挨拶未満のそれから始まるは、フレーバーコーヒーを楽しむふらり旅。とは言えど、）Googleマップとかじゃ載ってないらしいから手書きの地図くれた。巽地図読める方？俺時々方向音痴になる時あっから間違えてたら軌道修正してくれねぇ？（ざっくりとした図に添えられた英文とじ込めた紙を取り出し、ひらり掲げて笑った。迷ったとて最終的には書かれていたのと同じ名を掲げた看板を見つければ土産話にプラスワン。近付くごとに感じる香りは、扉を開けば待ちきれないとでも言うようにこちらへ漂ってきた。）……迷うな。（バニラにチョコ、ナッツ類。単語を読み取るのに難は無かったが、一つを選べず難しい顔して腕を組む。更には隣のショーケースにケーキやドーナツが並ぶのまで見つけてしまっては、深まる選択の沼。）あ、決まったなら先頼んでいいぞ。（とは、参考にしようという下心も込みだった。）

（別たれた挨拶が繋がり、本来の響きを取り戻したその先に。言い訳、との弁にはて、と瞬きが二度、三度。）ああ、そういうカラクリだったんだなアレ。どういう流れ？って会ったら聞こうと思ったら本人からネタばらしあってビビったけど笑ったわ。（あえて触れずに置いていた疑問が追撃とばかりに投げられた言葉によって紐解かれたのはついさっきのこと。）謝ることじゃねぇだろ、受け取っとくけど。……で？夢の中ではウクレレくのいち出来てた？（謝罪によって締られた残滓を掬うようにして。先日のやり取り引用した称号を夢の中の彼女は得ていたのか、雑談に続けるような文脈で問うた。）頼もしいじゃん、頼りにしてる。（安堵と高揚がちょうど良いバランスで心の中を構成しているようだった。目的地に到着したなら高揚が少し優勢となったが、代わりに優柔不断がこんにちは。メニューのあちらこちらを視線が彷徨う。傍らの彼女とは対照的だ。）ん、んん……コーヒーはヘーゼルナッツで……、悪りぃ、その言葉に甘えさせてもらっていいか？レモンチーズケーキにするわ。（ややばつの悪そうな顔ばせになれど、彼女の誘いに乗っかるのは早かった。選択と注文を終え、向かい合って座る中。コーヒーとスイーツが運ばれて来ればテーブルの上も華やぐ。）あ、交換な。こっちのケーキも一口分。（真白い一ピースを指して、先に取るよう促した。いただきますはきっと、交換が終わってからだ。）

（語られる一大スペクタクルに思わずふは、と声が漏れた。）……ちょい盛ってねぇ？とは思ったけど、（くつくつと喉が鳴る。笑いを殺し切れぬ口元を隠す努力は放棄し紡ぐ素直な第一声も、）巽ならあり得るな、っつう気持ちのが強いわ。ゴチャゴチャ色々の仲間入り果たせて光栄デス。（と最終的には前言撤回の道を辿る。夢という形であの夜の延長戦が成されたかと思えば、最後に残るは愉快さ。とってつけたような敬語での一言だって世辞でなく本心だ。）そー言ってもらえて助かる。コーヒー単体でもいいんだけど、個人的には甘いものと一緒に食う方がこう……互いの良さを引き出すと思うんだよな。（などと語り終えた唇が一匙の羞恥心を自覚する。いつもより多めに息を吸い込んでから、）巽が好み似てる奴で良かったわ。（レンズ越しに安堵を滲ませ、穏やかで素朴な店内の一角に腰を落ち着けた。やがて広がる、視覚や嗅覚に訴えかけてくるテーブル上のマリアージュ。）サンキュ。いただきます。（彼女の差し出した円環から一口分を取れば本日のメインイベント始まりの合図が二人の口からこぼれ落ちた。──視覚と嗅覚に味覚が加わり、綻ぶ口元は揃いの色を宿していただろう。）ん、ドーナツも美味い。甘過ぎねぇからコーヒーの邪魔しなさそう。（フレーバーコーヒーの伴に相応しいと感心浮かべた顔が軽く頷きを二度三度。男の手は薄く湯気立てた琥珀色を宿したカップを持つ。ゆっくりとそれを傾けたなら。）……お、おぉー……コーヒーもナッツもいいバランスだ。……そっちは？

賑やかな夢になりそうだわ。（うつつの国への来訪予定者に向けた言葉はとてもじゃないが拒否の色見られぬ響き。答え合わせは明朝以降に。）単体で食いたいって思うことはあんまねぇけどな。コーヒーと一緒なら割となんでも。（誰得追加情報を紡ぎながら、「ご丁寧にどーも」と初めましての挨拶へ鷹揚に手を掲げて見せた。小芝居経ての流れの先にも、互いの口元に灯った笑みは消えぬまま。男のそれは彼女からの一言に少し、惑うようには揺れたが。）……どうだろうな。でもまあ、そっちの方も遠くはねぇんじゃないかとは思う。断言出来るにはもうちょい掛かるかな。（ここに来る前と現在とを比較すれば、最後まで否定に足る言葉は飛び出して来なかった。遠くはない、なんてふわっとした着地。まるで漂う湯気のような。）あー……自分で言うのもあれだけど、まあちょっとは気ぃ遣うわ。（人差し指で軽く頬をかくも、視線は緩やかに彼女へと向けて。）けどここ、豆の販売もしてっから、自分の土産用にチョコの買ってくわ。巽のお墨付きも貰ったわけだし？（今ではなく、帰国後の楽しみを一つ得たとばかりに三日月描いた唇が告げた。伸ばしたフォークで捕らえたチーズケーキもまた、適度な酸味がコーヒーとの調和を感じる。）ん？あぁ……（視線を放っていた瞳を二度三度瞬かせ、彼女のものと形状は異なれど同じ働きをしているはずのそれをあっさり取り去った。そのままフォークの先が再びケーキを狙う。）この通り。悪くない。……けど、人相は悪く見えんだろ。それを何とか和らげたいためのアイテム。

（言葉の前に二度ほど、確かな頷き。）ブラックコーヒーのお供はチョコが合う。割と真理。……実際成績良かっただろ？お前。俺からしたら天才だわ、十分。体重の件は触らんでおくけど。（意識的に仰ぎ見たクラス上位に名を連ねていた相手へ、確認のような一手間。触らないと言いつつ指先でつつくかのような言及を落とし、そろそろ人肌ほどになったコーヒーを再び味わう。）追加注文が捗りそうだな、そうなると。……けど、夏休み前までは俺、巽のこと真面目ちゃんだと思ってたからなぁ。（抱いていた印象は過去形にて語られる。置かれたカップに漣が生まれた。）それに比べたら、似てるかもなって言えるわ。想像よか全然面白いんだもん、お前。（良い意味で破壊された固定観念は親しみやすさという感情を齎したものだから、口に広がる味が生み出すご機嫌さに紛れ存外素直な形で当人へと向けられた。──親近感に足るピースは、どうやら目と鼻の先。物理的にも存在していたらしい。）え、（この地に来てから外すことが増えた眼鏡。通さずとも視界は変わらず、だからこそ彼女の行動も逐一捉えていた瞳が瞬いた。）お前もだったん？なんで？（純然たる好奇心が疑問符連ねて首を傾げさせる。）良いことの比重が大きけりゃ良かったんだけどな。……そ、りゃ……どうも。（フォークで切り取ったケーキの断面みたいな言い切りに、そこはかとない照れを感じた感謝はぞんざいに放られた。眼鏡は傍らに置かれたまま。カップの中身と皿の上、その中身がゆっくりと、けれど確実に減ってゆく。）

花島は例外、多分人生十回目とか。（その男は何もかもを備え過ぎていたから妬みなど覚えない。徳を積み上げた結果と勝手な理由貼り、この夏の提供者の姿を一瞬だけ眼裏に描いた。）そ、うかもだけど、（浮いた手がふわふわ漂う。気持ちを適切に言語化出来ぬもどかしさ、彼女と違い成績はクラスの真ん中辺りに名を連ねる男は自分に少し、苦い顔。）……そんなにも面白味とかねぇと思ってた。から、百八十度巽のイメージ変わった、っつうか知れた？のは、この夏の収穫みてぇなもんだな。（杓子定規な優等生とのイメージは最早霧散し気配すら感じられない。面白い、を嬉しい、と評するなんて日本にいた時には想像もつかなかったから。）俺？褒めてる気持ちがあれば割と何でも。馬鹿、でも取りようによっては喜べるわ。（と宣うコーヒー馬鹿はさくりとケーキを一口大に取っては口へ。心地よい酸味広がる中、端的な疑問への返答に。）……なるほどなぁ。俺逆に頭いいとか思われるの微妙だったけど、そういう考えもあんな。（逆立ちしたって己じゃ浮かべられぬだろう解釈に瞬く瞳はレンズを介さず。関心籠った吐息は微かに濃茶の海を揺らした。）交換？いーよ、はい。（紙風船を打ち返すかの如く、軽さに軽さを重ねた返答してあっさりと差し出す。）お、いいじゃん。……レアな気ぃするから撮っとくか。（記念、の二文字が常ならあまり行わぬ行為のためスマホを取り出す男の顔には少し小さな眼鏡が鎮座していた。それらが正しい持ち主に戻ってから少しして。）ごちそうさまでした。……はー、満足。

（ここに居ない第三者を俎上に載せたとて、口をついて出るのは好意的な感情由来のものばかり。「拝んどこ」とご利益期待し三日月刻んだ口の端には愉快さ滲ませた。──ここまでの数ヶ月で抱いていたものがたったの数日で反転とまではいかずとも新たな色を足し、見えるものを変えた感覚は少しふしぎで大分ゆかい。それも夏の収穫かと勝手に結論付けて、名残を惜しむかのように随分と軽くなったカップを持つ手に力を込めた。）……そうそう、そーいうやつ。褒め言葉にしか聞こえねぇ……けどそっちは割と雑じゃねぇ？（馬鹿を冠した称号は甘んじて受け入れよう、それも嬉しげに。続いた馬鹿にもツッコミを入れはしたが、暫し点った笑みの灯りが消えることはなかったし突き返そうともしなかった。）フレームの形違うからまあまあ新鮮だわ、これも。（借り物ゆえに手付きは優しく慎重に。レンズの向こうの姿にも新鮮さを覚え、提案受け入れられたなら数少ない被写体、人の画像が増えた。その一枚を見せるようにスマホ向けたのは眼鏡が正しい持ち主に戻った頃。）いーえ。こっちこそ付き合ってくれてありがとな。（穏やかな時間は満足感と共におしまい告げた。「土産分見てっていい？」と一声かけ、チョコとバニラを選び取る。行きにはなかった重みを携えた帰路にて。）……今日みてぇに楽しい時間過ごせんなら中身は問わないっつー気分。（手段ではなく結果を載せた唇がまた、機嫌良さげに弧を描く。でも、その前に。）巽は俺の夢の中でも暴れてくれるんだろ、それも楽しみにしてるわ。